慣らし保育〜慣らされているのは子か?親か?〜
今日は、私の住む地域では小学校の卒業式が一斉に行われた。
朝、近所の子が素敵なスカートスーツ姿でランドセルを背負い、最後の登校をする姿を見かけた。
卒業おめでとう。
3月は卒業・卒園シーズンだが、4月は一変して入学・入園シーズンになる。
その4月に向けて、長女の保育園では3月は慣らし保育が増える。
かく言う長女も、3年前のこの時期は慣らし保育の真っ最中だった。
長女の通う保育園は、私も子どもの頃通った園で、自由と自然を愛するワイルドな園風が特徴である。
自分が通って楽しかった思い出が多いので、長女も入園を決めた。(田舎なので、保活や待機児童問題とは無縁の地域)
この地域では、保育園や子ども園が子育て支援センターとしても機能していて、保護者は入園したい園や気になる園があると、事前に子育て支援活動の方に参加する。
何度か参加して園の様子や教育方針を事前に把握するのである。
長女も、今の保育園の子育て支援に6カ月頃から毎週参加していた。
そして、4月に1歳児クラスへ入園が決まり、3月の1カ月間を慣らし保育に充てることになった。
慣らし保育が始まった時、長女は1歳5カ月。
子育て支援にはおよそ1年参加し、保育士さんからは、
「毎週来てるし、きっとすぐ慣れるよ」
と言われていた。
慣らし保育の計画は、最初の3日はお昼ご飯前まで。
その後3〜4日はお昼ご飯を食べた後まで、その後はお昼寝後までと時間を伸ばし、2週間くらいかけて8時から16時まで居られるようにするものだった。
さて、忘れもしない慣らし保育初日。
8時半頃登園し、長女は保育士さんに抱っこされた。
特段泣きもせず、私を見る長女。
どんなに泣かれるかとヒヤヒヤしていた私は、拍子抜けした気分で、
「じゃあ、11時頃迎えに来ます」
と保育士さんに確認して、長女に手を振った。
園舎から駐車場まではおよそ50メートルほど。
車に着いて、
(なーんだ、あっさりだったなあ。だったら1カ月も慣らさなくて良かったかも)
などと考えていた時だった。
駐車場にいてもわかる、大号泣する声。
間違いない。長女だ。
思わず、園に戻りかけたが、保育士さんからは「電話がない限り、さよならしたら時間までは戻って来ないで」と釘を刺されている。
もしかして電話がすぐ来るかも、と携帯片手に15分くらい駐車場で待っていた。
その間に号泣する声は聞こえなくなったので、後ろ髪を引かれる(引き抜かれる)思いで、なんとか家に戻った。
11時に迎えに行くと、長女は私を見るなり号泣。
一緒に車に戻ると、私まで涙が出た。
翌日は、登園して保育士さんに抱かれるなり大泣き。
でも、保育士さんは慣れたもので、
「大丈夫よー。泣いてるのは今だけだから。ママがいると長く泣いちゃうから、ほら行って行って」
と笑顔で手を振ってくれる。
保育士さんにも長女にも申し訳ない思いで、やっぱり車に乗って涙が出てしまった。
そんなこんなで最初の3日を過ごし、初めての給食をいただいた日。
12時半頃迎えに行くと、長女はなんとハンストしていた。
午前のおやつも食べず、給食も食べず、ずっと保育士さんに抱っこされていたとのこと。
「最初は食べられなくなる子が多いから。大丈夫。2〜3日で大体食べるようになるよ」
と励まされ、給食はタッパーに入れてもらって家で食べた。
ところが、3日たっても4日たっても、長女のハンストは続き、6日目になってもタッパー入りの給食を家で食べていた。
暗澹たる気持ちで迎えに行った7日目、出迎えてくれた保育士さんが開口一番
「食べたよ!スープはおかわりもしたよ!」
それはそれは嬉しかった。
聞けば、長女のハンストを知った子育て支援センターの担当保育士さんが、この数日
給食の時間に特別に長女に付いてくれていたそうだ。
見知った大人がいたことで、長女の不安が和らぎ、ついにハンストは解除されたのだ。
給食が食べられてからは、それまでの日々が嘘だったかのように長女は保育園に馴染んでいった。
3月末には、迎えに行っても知らん顔で遊んでいたほどだった。
長女はこの春で4歳児クラスに進級する。
今や保育園大好きで、早めに迎えに行くと文句を言われるほど。
私たち親も安心して預けられる。
あの慣らし保育の期間はなかなかに辛かった。
でも、今になって思うのは、慣らされていたのは長女だけでなくて、親の私もだったのではないかということ。
生まれてから1年5カ月、長女と私は3時間以上離れたことは無かった。
離ればなれになって、涙したのは私も同じだったし、長女が馴染んでいくのはホッとする反面、寂しくもあったことは夫にも話していないヒミツだ。
長男の育休明けは、来年の8月を予定している。
来年の7月、長男もハンストするのだろうか。
今度は母はうろたえないぞ!